モンゴメリ パーク/Montgomery Park

アンの物語の舞台・アヴォンリー村のモデルであるキャベンディッシュの地に、L.M.モンゴメリの功績と、キャベンディッシュ創設者一族、そしてアヴォンリー女性研究所を讃えて、2019年にモンゴメリ パークが造られました。

公園の目玉は、A Glimpse of Beauty 「一瞬のきらめき」と題されたモンゴメリのブロンズ像です。

プリンスエドワード島出身のグレイス・カーティスがデザインし、ネイサン・スコットが彫刻を手がけました。
キャベンディッシュに住み、赤毛のアンを執筆しようとしていた20代後半のモンゴメリの姿をイメージし、また瞬時に得たインスピレーションに畏敬の念を抱く姿を描いているのだそうです。

この公園のみならず、島内のモンゴメリに関連する観光ポイントには Literary Tour 「モンゴメリの文学ツアー」と題された案内パネルが設置されています。 本の形を模したパネルで、英語、フランス語、日本語で、モンゴメリとの関わりや詳しい説明が、貴重な写真と共に掲載されています。 

モンゴメリ パークには何本かの桜の木が植樹されていますが、高円宮 憲仁親王妃久子殿下が開園式に御列席され、パークの開園と日加友好90周年を記念して植樹された桜もあります。
私が訪れたのは花が咲き始めたばかりの時期でしたのに、もう葉がいっぱいだわ〜と驚いたら、日本の桜とは種類が異なり、花と一緒に葉も出るのだそうです。

このパネルは、キャベンディッシュの初期の入植者についての記述です。
モンゴメリの祖先はスコットランドからこの地へやってきて、開拓し繁栄していったようです。
簡単に訳してみました。

キャベンディッシュの創設者一族

公式の土地登記記録によると、1789年8月31日、ウィリアム・シンプソンは、ロット23の所有者であるウィリアム・ウィンターから500エーカーを賃借した(文書では500エーカーとなっているが、シンプソンの所有地は実際には565エーカーと推定される)。この取引はキャベンディッシュの入植へと発展した。
ウィリアムとその息子たちが、翌年の春に一家が戻るための小屋を建てに来たのかどうかについては疑問がある。
しかし、1790年の春、ウィリアムとその家族は所持品、物資、家畜をまとめ、永住の地を築くためにスコットランドからキャベンディッシュにやって来たことは確かである。
ウィリアムと妻のジャネットは、5人の幼い子供たちを連れていた: ジーン、ジェームズ、ジャネット、シャーロット、ジョンの5人で、年齢は11歳から22歳まで; また、娘のヘレンと義理の息子ウィリアム・クラーク、息子のウィリアム・シンプソン・ジュニアとコーブヘッドの新婦メアリー・ミラーも一緒だった。

1791年には、娘のマーガレットと義理の息子ジョン・マクニールが加わった。(L.M.モンゴメリはジョン・マクニールの子孫であり、一族の姓にはさまざまな綴りがあることに注意。)
その年の4月1日、マクニールはシンプソンの土地の東100エーカーをリースし、1803年9月22日にはさらに400エーカーをリースした。この土地は彼自身と2人の息子、そして1人の義理の息子に分割された。
The Meachams 1880 Atlas of Prince Edward Island (アトラス地図集)には、シンプソン、クラーク、マクニールの3家族がキャベンディッシュに到着してからの90年間、農業、漁業、製材業、造船業、製粉業、貿易、海運業など、周囲の土地や海を利用して生活し、いかに繁栄していたかが示されている。彼らには、周辺地域に移り住んでホームステッドを築いた他の多くの家族も加わった。
その後に続いた家族には次のような名前が見られる。
Beal, Clark, Cullen, Graham, Green, Laird, MacCoubrey, MacKenzie, MacLure, MacNeill/Macneill, Moore, Robertson, Simpson, Stevenson, Stewart, Toombs, Webb, Wyand

キャベンディッシュを訪問されたら、こちらも散策してみてください。
ピクニックテーブルがあるので、ここでランチにするのもお勧めです。